6月に続き、大人の休日倶楽部パスを利用して夫婦で南三陸方面に旅行してきました。
初日ははやぶさで一路盛岡まで行き、盛岡から花巻経由で釜石に向いました。
途中の遠野では『SL銀河』が停車していて、その先ではSLを撮ろうと大勢の人がカメラを構えている姿に遭いました。
釜石で降りて昼食を食べたりしばらく散策した後、三陸鉄道の『南リアス線』に乗りました。
6月の『北リアス線』に続いて、これで全線を乗ったことになります。釜石駅を出る時に後で到着した『SL銀河』がまた見られました。
途中海が見られるのは『北リアス線』と比べると少なめですが、震災の時の津波の爪あとは残っていました。
この日は『綾里(りょうり)駅』で下車、宿の送迎を頼んで『やすらぎの里 廣洋館』に宿泊。
こちらも震災の被害で新築修繕後昨年7月に再オープン、食事は三陸で採れる地場の食材にこだわって提供していて満足感たっぷりの食事を頂きました。
2日目、朝ゆっくりと起床したため朝日は拝めませんでした。宿の下の海岸は工事が行われていました。
この日も美味しい食事を頂いた後駅に送って貰いました。
『綾里駅』は東北の駅100選にも選ばれ、綾姫がこの地に機織を伝えたという伝説から「綾姫の里」と言われています。
三陸鉄道に乗って『盛駅』に行き、ここからJR大船渡線BRT(バス高速輸送システム)に乗換え、途中『奇跡の一本松』で有名な陸前高田を通り気仙沼に向いました。
気仙沼ではまずタクシーで気仙沼港にある『K-port』に行きました。このカフェは俳優の渡辺謙さんが震災後被災地支援のため立ち上げたプロジェクトで開いた場所です。
大勢の人が訪れていてここの夏野菜海老だしカレーやただいまパンケーキを美味しく頂いて来ました。
その後、港を歩いて『海の市シャークミュージアム』などに寄ってから駅に戻り、今度は気仙沼線BRTで南三陸町に向いました。
この日も最寄のバス亭まで迎えに来てもらって『南三陸ホテル観洋』に宿泊しました。
部屋に入ると広い窓一面に見える太平洋が見事で、カモメの出迎え?もありました。この日も豪華な食事を堪能しました。
いよいよ最終日の3日目、この日は5時29分の日の出ということで早起き、遠く水平線から登ってくる日の出が見事でした。
バイキングの朝食を終えた後お目当ての『語り部バス』に乗車しました。
このバスは震災を風化させないという思いから、宿泊者限定でホテルのスタッフが町をバスで案内するもので、利用客が5万人を超えたのを記念したプランを利用しました。
自分達が乗車したバスのガイドは語り口も元テレビアナウンサーという経歴そのままの斉藤課長さんで、東京の電車内のリクナビの広告で記憶があり、あの人だと感激してしまいました。
最初に向ったのは現在は更地となっている『戸倉小学校跡』、地元の教師の意見で神社のある高台を避難場所として全員が無事だったという話だった。
近くの高台にある戸倉中学校の校庭には仮設住宅が建てられ多くの人達が生活していた。
ホテルのグループの結婚式場である『志津川高野会館』は津波が最上階の4階まで押し寄せたが、集会を開いていた地元のお年寄りら約330人は屋上などに避難し、全員救助された。
高野会館は水産加工、観光業を展開する阿部長商店が所有し、入院患者ら70人以上が死亡、行方不明となった公立志津川病院=解体済み=のそばにあるが、
過酷な被害を伝える「震災遺構」として施設を残すことを決め、保存の支援をお願いしたいとの説明もあった。
最後に向ったのは『防災対策庁舎』、ここは震災発生の際、町職員の遠藤未希さんが住民に避難を呼びかけ、多くの命を救ったが自らは亡くなった場所である。
防災対策庁舎で亡くなられた計41人の犠牲者の方々のご冥福を、心からお祈りするばかりだった。
ホテルにはちょうど震災時の避難の様子から復興に向けた取組みを紹介した展示もあり、また復興支援で訪れたいと思いながら帰路についた旅行だった。
本館:HARUのフォトギャラリーに撮った写真をアップしていますので是非お訪ね下さい。
初日ははやぶさで一路盛岡まで行き、盛岡から花巻経由で釜石に向いました。
途中の遠野では『SL銀河』が停車していて、その先ではSLを撮ろうと大勢の人がカメラを構えている姿に遭いました。
釜石で降りて昼食を食べたりしばらく散策した後、三陸鉄道の『南リアス線』に乗りました。
6月の『北リアス線』に続いて、これで全線を乗ったことになります。釜石駅を出る時に後で到着した『SL銀河』がまた見られました。
途中海が見られるのは『北リアス線』と比べると少なめですが、震災の時の津波の爪あとは残っていました。
この日は『綾里(りょうり)駅』で下車、宿の送迎を頼んで『やすらぎの里 廣洋館』に宿泊。
こちらも震災の被害で新築修繕後昨年7月に再オープン、食事は三陸で採れる地場の食材にこだわって提供していて満足感たっぷりの食事を頂きました。
2日目、朝ゆっくりと起床したため朝日は拝めませんでした。宿の下の海岸は工事が行われていました。
この日も美味しい食事を頂いた後駅に送って貰いました。
『綾里駅』は東北の駅100選にも選ばれ、綾姫がこの地に機織を伝えたという伝説から「綾姫の里」と言われています。
三陸鉄道に乗って『盛駅』に行き、ここからJR大船渡線BRT(バス高速輸送システム)に乗換え、途中『奇跡の一本松』で有名な陸前高田を通り気仙沼に向いました。
気仙沼ではまずタクシーで気仙沼港にある『K-port』に行きました。このカフェは俳優の渡辺謙さんが震災後被災地支援のため立ち上げたプロジェクトで開いた場所です。
大勢の人が訪れていてここの夏野菜海老だしカレーやただいまパンケーキを美味しく頂いて来ました。
その後、港を歩いて『海の市シャークミュージアム』などに寄ってから駅に戻り、今度は気仙沼線BRTで南三陸町に向いました。
この日も最寄のバス亭まで迎えに来てもらって『南三陸ホテル観洋』に宿泊しました。
部屋に入ると広い窓一面に見える太平洋が見事で、カモメの出迎え?もありました。この日も豪華な食事を堪能しました。
いよいよ最終日の3日目、この日は5時29分の日の出ということで早起き、遠く水平線から登ってくる日の出が見事でした。
バイキングの朝食を終えた後お目当ての『語り部バス』に乗車しました。
このバスは震災を風化させないという思いから、宿泊者限定でホテルのスタッフが町をバスで案内するもので、利用客が5万人を超えたのを記念したプランを利用しました。
自分達が乗車したバスのガイドは語り口も元テレビアナウンサーという経歴そのままの斉藤課長さんで、東京の電車内のリクナビの広告で記憶があり、あの人だと感激してしまいました。
最初に向ったのは現在は更地となっている『戸倉小学校跡』、地元の教師の意見で神社のある高台を避難場所として全員が無事だったという話だった。
近くの高台にある戸倉中学校の校庭には仮設住宅が建てられ多くの人達が生活していた。
ホテルのグループの結婚式場である『志津川高野会館』は津波が最上階の4階まで押し寄せたが、集会を開いていた地元のお年寄りら約330人は屋上などに避難し、全員救助された。
高野会館は水産加工、観光業を展開する阿部長商店が所有し、入院患者ら70人以上が死亡、行方不明となった公立志津川病院=解体済み=のそばにあるが、
過酷な被害を伝える「震災遺構」として施設を残すことを決め、保存の支援をお願いしたいとの説明もあった。
最後に向ったのは『防災対策庁舎』、ここは震災発生の際、町職員の遠藤未希さんが住民に避難を呼びかけ、多くの命を救ったが自らは亡くなった場所である。
防災対策庁舎で亡くなられた計41人の犠牲者の方々のご冥福を、心からお祈りするばかりだった。
ホテルにはちょうど震災時の避難の様子から復興に向けた取組みを紹介した展示もあり、また復興支援で訪れたいと思いながら帰路についた旅行だった。
本館:HARUのフォトギャラリーに撮った写真をアップしていますので是非お訪ね下さい。
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by hharu131
| 2014-09-29 23:59
| 2014風景